昔これを持っていた職人が「いつか誰かが探しに来るから、そのときに分けてやって。つくれるのはもう俺しかいないから」って言って、置いていったって。「何十年もそのままにしておいて、そしてあなたがきょう探しに来た」って。
今、日本で紙が漉けているのは、その職人のおかげなの - エアロプレイン- (via kotoripiyopiyo) (via fatherion) (via king75) (via comsmet)
5 months ago
読書はそもそもリスクを伴うものなんです。それが読書です。ですから、本を読めばその本が自分を応援してくれると思いすぎないことです。背信もする。裏切りもする。負担を負わせもする。それが読書です。だから、おもしろい。
「その点だけは大丈夫です。みな同じ性格、同じ反省の持ち主です。そして、同じあきらめと同じ期待とで生きている。こんなに気ごころの知れたものばかりの社会は、ほかにないでしょうよ」
星新一『黄金の惑星』 (via kamawanaiiii)
5 months ago
しかるに、どんな時間でも自分自身の必要のためにだけ用いる人、毎日毎日を最後の一日と決める人、このような人は明日を望むこともないし恐れることもない。なぜというに、新しい楽しみのひとときが何をもたらそうとも、それが何だというのだろうか。こんな人には万事が知り尽くされ、万事が十二分に理解されている。それ以上のことは、運命の女神が好きなように決めるであろう。
自殺企図、自傷行為が一見些細なことをきっかけに生じるのが境界例の特徴である。たとえば、外出先から家に電話をしたところ母親が不在であったとか、愛玩動物が死んだとか……こういう出来事が彼らにとっては自己と不可分の共生的対象の喪失を意味する。彼らの行動化には、自分を見捨て共生的関係から離れていこうとする対象を処罰しようとする欲求が含まれる。……この意味で、彼らの自殺企図や自傷行為は自己のなかの出来事のように見えて、実は対象との関係のなかの出来事である(強調引用者)
(via plug)
5 months ago- (via NNBB & Alf)
5 months ago
必要なのは自分を評価してくれる人物ではなく、評価の外に置いてくれる相手である。学業や仕事の業績とは何の関係もなく、特に意味のない会話でもそれじたいを尊いものとして理解してくれるような、精神的立て直しの手助けを引き受ける存在だ。相談に対して回答を用意するのではなく(それだと評価の一環になってしまう)、忌憚のない意見を聞かせるのでもなく(当然のことだ)、触れ合っていることそのものに、短くはあっても時間を共有していることに、継続的な安心感をもたらしてくれる人間を人は人として持たなければならない。あるいはそのような人に、自分がならないといけない。
秋葉原の事件を見て、そんなことを考えた。
秋葉原の事件を見て、そんなことを考えた。
街を走る電車はその晩電車固有の美しさで私の眼に映りました。雨後の空気のなかに窓を開け放ち、乗客もほどよい電車の内部は、暗い路を通ってきた私達の前を、あたかも幸福そのものが運ばれてそこにあるのだという光で照らされていました。乗っている女の人もただ往来からの一瞥で直ちに美しい人達のように思えました。何台もの電車を私達は見送りました。
梶井基次郎『橡の花』 (via kamawanaiiii)
5 months ago






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